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嫌いになるには、時間をかけて、知りすぎてしまった。

鉢植えに水を遣りながら、時折、伸びた枝や傷んだ葉を剪定をする。朝露に濡れた小さな植物たちが、こちらに意識を向けてくれることがわかる。それから、それらを窓のようにして、全く違う次元からこちらを見つめる、大いなるものの眼差し。辺りには透明な光の粒が充ち満ちて、ぷちぷちと泡立ち、はじける音が聞こえてくるようだ。

私が3歳の頃に亡くなった曾祖母は植物を育てるのがとても上手だった。生涯を通し、私に寄り添ってくれる植物との約束を初めて取りつけてくれたのも曾祖母だった。それが水仙だったからか、いまでも私は陰性の植物と縁があるが、曾祖母は中でも菊を育てる名手で、遠隔地からも教えを乞う人がぽつりぽつりと訪れていたらしい。しかし、当の本人は菊だけを育ててもしょうがないと言って、小さな持ち家の、猫の額ほどしかない庭には多種多様な植物が絡み合うように共存していた。端からみれば庶民的な、どこにでもある庭だったかもしれないが、彼女はその慎ましい生活と庭とを愛していて、その姿を見ることが好きだった。

物事や他者を慈しむこと、育むことを、私はこれまでほかの人間からは学ばなかった。

家庭の事情から、家にいながらも孤児のように暮らしてきたので、自然の中にひとりでいる方が余程性に合っていた。植物の持つ掛け値のない愛だけが、私を癒した。自らを含め、人間が持つ感情のエネルギーは濃く複雑で、かつ制御が難しく、ときに劇薬のように作用する。寿命が短いからか、心の移ろいも早い。きっと私には人間を心から愛することはできないな、こりゃ仙人にでもなるしかないかと思い、ならばと山に籠っても、そこに少数でも人間がいる限りは同じことだった。娯楽もなく、雨水で生活をし、場を清めることに努め、毎食ごとに感謝の祈りを捧げる生活を送ろうと、人間はどこまでいっても人間だった。それ以上でも以下でもない。もはや私は、私の生に疲れていた。

巫女として何度目かの山籠りを終えて山を降り、いまの恋人と付き合って初めて、人間の営みに息づく幸福の鋳型を与えられた気がした。私の内側の聖域に彼だけがたどりつき、根を下ろすことで、そこは誰も触われない、ふたりだけの国となった。同時に、これまでの自分がどれほど自らの生まれや過去の境遇を言い訳にして、他者を信頼せず、そのために心の休まる時がなく、他者の優しさや心を、私の魂とからだを粗末に扱ってきたのかを思い知った。ごめんなさい、と誰とはなしに呟く。きっともっと、色々とやりようがあったのに、私が未熟なせいで、そうできなくて、ごめんなさい。

ずっと死にたかった。もう終わりにしてくれと何度も願った。それでも分からないなりに、ハリボテでも愛していたのだから、すべてを嫌いになるには、時間をかけて知りすぎてしまった。私はたぶん、恵まれている。