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「神はじめ五つの色人をつくりなせしを知らせあるべし。黄、赤、白、青、黒(紫)人なり。」


おにたちについて

どこかで耳にした冒頭の五色人説にも、さまざまな説があるらしいけれど、それが肌の色だったとして。

たしかにかつて、そんなこともあったのかもしれないなと、数々の伝承や、日本昔話に登場する幾人もの「おにたち」のことを考えるにつけ、おもうのだ。


仮説A

海の向こうから、やってきたひとたち。

目鼻立ちから背格好まで、じぶんたちとは、まるで全然ちがっている…あの瞳は?髪の色はなんだ?

ことばだって、まるでつうじないかも。

そもそもコンタクトを取るべきなのか。

「こわい。」

「あれは、じぶんたちにとって、敵なのか、味方なのか?」


現代における、おにたちの持つ共通点、そこから想起されるもの。特徴的な外見の要素、行いなどに誇張はあったのだろうか。それとも、あくまで比喩だったのか(いっそ写実的だったのか…というオカルト考察はさておくとして)。ひとは、じぶんとはちがうものを異形とし、あやかしの類いに位置づけたのかもしれない。


こころのやさしいおにのうちです。

どなたでもおいでください。

おいしいお菓子がございます。

お茶もわかしてございます。


おにたちが出てくるお話しのひとつとして、「泣いた赤おに」という物語がある。

ひとと仲良くなりたかった赤おにが、戸口に立てた、立て札のこと。そんな赤おにのために、自ら「わるもの」として、ひと芝居を打ったために、そこで暮らすことができなくなり、ひっそりと村を去ってしまった青おにのこと。それを知ったときの、赤おにの心の内のこと。すべてのあとで、赤おにを信じることに決めた、村の人間たちのこと。青おにへの仕打ち。

それからの暮らしで、どれほどの人間に囲まれ、好意を寄せられ、しあわせに過ごせたとしても、青おにを失ってしまったという事実は、きっと終生、赤おにの心のどこかしらを翳らせ続けただろう。

そのことの、とりかえしのつかなさによって。


(とても簡単なことだ。ものごとはね、心で見なくては、よく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない。)


解について

器の話しだけでなく、

魂の形や性質のことは、よりむつかしい。

またも、たいせつなものは匿われるのだ。


(星々が美しいのは、ここからは見えない花が、どこかで一輪咲いているからだね。)

(砂漠が美しいのは、)

(どこかに井戸を、ひとつかくしているからだね…)


わかる、わからないを越えて、いまこのばしょが、ひとりでも多くの有形無形のおにたちにとって、らくに息を吸って、吐けるところとなるように。

生きとし生けるものを生かし合うためにこそ智慧がいるのだ。あたまよくなけりゃなんない。

そのことだけが、おににならず、おににされず、おにをふやさず、おに同士で、ころしあわないですむ道のような気がしている。


(なつかせたもの、絆を結んだものしか、ほんとうに知ることはできないよ。)

(人間たちはもう時間がなくなりすぎて、ほんとうには、なにも知ることができないでいる。なにもかもできあがった品を、店で買う。でも友だちを売っている店なんてないから、人間たちにはもう友だちがいない。だからきみも友だちがほしいなら、ぼくをなつかせて!)