4

いちど、すべてがこわれたあとで、ありあわせでつくったこころなのだから、いのちがあっただけ、しあわせだとおもえ。といわれた気がしていた。いつでも。

f:id:cellrom:20190401224836j:plain

ひととひと、陰と陽、それらのはたらき、それら同士の交わりによって、母なる胎内で、それぞれが夜光虫のように蠢き、大いなる流れの中で、ひとつの巨大な有機体を形づくる様子を見たことがある。全は一であり、一は全であること。たとえば分子がひとつ欠け、別の分子が混ざるとする。そこから都度、完璧なるものが現れる。その絶対的な摂理によって描かれる設計図に基づき、いまここが構成されていること。すべてのいのちは本質的に、なにものにもはかることはゆるされず、必要な間(またこれも、その摂理に基づいて算出される。そしてそれに情け容赦などない)、秩序立ち、留め置かれる。

元号が変わった。

それからはずっと、役立ちのための役立ちとは何かを考えている。人生万事塞翁が馬という諺が好き。時間軸を超えることは、だれにでも、おそらくタイムマシンがなくたって、できることかもしれない。たいせつなのは、状態だ。