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「いい加減、目覚めなさい。日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでるか知ってる?今のまま、ずーっと愚かでいてくれればいいの。世の中の仕組みや不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら上司の言うことをおとなしく聞いて、戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの。」


(今日の人間は幸福について殆ど考えないようである。試みに近年現れた倫理学書、とりわけ我が国で書かれた倫理の本を開いて見たまえ。只の一個所も幸福の問題を取り扱っていない書物を発見することは諸君にとって甚だ容易であろう。かような書物を倫理の本と信じてよいのかどうか、その著者を倫理学者と認めるべきであるのかどうか、私にはわからない。)

…中略…

(幸福について考えることはすでに一つの、恐らく最大の、不幸の兆しであるといわれるかも知れない。健全な胃をもっている者が胃の存在を感じないように、幸福である者は幸福について考えないといわれるであろう。しかしながら今日の人間は果たして幸福であるために幸福について考えないのであるか。むしろ我々の時代は人々に幸福について考える気力をさえ失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか。幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。しかしながら幸福を知らない者に不幸の何であるかが理解されるであろうか。今日の人間もあらゆる場合にいわば本能的に幸福を求めているに相違ない。しかも今日の人間は自意識の過剰に苦しむともいわれている。その極めて自意識的な人間が幸福については殆ど考えないのである。これが現代の精神的状況の性格であり、これが現代人の不幸を特徴附けている。)


(社会、階級、人類、等々、あらゆるものの名において人間的な幸福の要求が抹殺されようとしている場合、幸福の要求ほど良心的なものがあるであろうか。)

(幸福の要求が今日の良心として復権されねばならぬ。ひとがヒューマニストであるかどうかは、主としてこの点に懸っている。)


「神に祈るな、両手が塞がる。」

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(この無秩序は、自分の行為の動機が幸福の要求であるのかどうかが分からなくなったときに始まった。)

…中略…

(幸福の要求はその秩序の基底であり、心理のリアリティは幸福の要求の事実のうちに与えられている。幸福論を抹殺した倫理は、一見いかに論理的であるにしても、その内実において虚無主義にほかならぬ。)

(幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が最も幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。この幸福をもって彼はあらゆる困難と闘うのである。幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である。)


今日の日記は引用で終わってしまいました。