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すべてのものは依然としてそこにあるのに、ひとつひとつをつまびらかにしようとし、ちっぽけなかけらに切り取ってしまう。言語化するということは、つまりそういうことのように思う。

このはなれわざによって、あらゆるものが秘匿される。
完璧に仕上がったパズルでさえ、ピースをばらばらにしておけば…たとえ、そのへんに転がっていても…それぞれの比類なき美しさはそのままに、それらはきちんと「匿われている」のだった。
受け取る者の内側に、愛と、そこから喚起されるもの、素材がなければ、かけらをどれだけ集めても、ひとつの絵として還元することはなく、上滑りしていく。(魔法のようでしょう?)(しかもそれはホログラムのようになっていて、角度を変えることによって、わかることに奥行きが生まれ、立体化する。世界は多重構造なのだ。)(多次元のことを、あえてシンプルな次元に落とし込むことで削がれる情報は、なくなっているわけではない。)(どこまでをわかることができるか?)

ひとは時空間にすら影響されない魔術を施そうとして、まずはじめに、ことばを生み出したのかもしれない。まもるべきものを、自らの力で、まもるために。そして、順を追って、そのことの責任を含め、理解するために。愛はどんなことでも、どこまでもわずらわしく、苛酷なのだった。それはその手間を惜しまない者だけに与えられる滋味深い光、血の通った温もりでもある。

日記を書くのは、いつぶりだろう。
mixi世代だったのでツールとしては使い慣れてはいるものの、続けるには一定以上の熱量が必要なものでもあるように感じていて、10代後半〜20代前半に差し掛かる頃には遠ざかっていた。
今後は忘備録に近い形で、より口語的に、ぽつぽつ更新していけたらと考えています。が、1日で飽きたらごめんなさい。

それでは〜〜